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エリザベスの葬儀に参加して

エリザベスキュブラロス博士の葬儀は、美しくそして楽しさに満ちたものでした。

エリザベスは、8月24日に逝去されましたが、美しく素敵な表情で、再び、葬儀の主賓として現れました。
一般のお別れは、インディアン通りにある学校の集会場で、4時半から6時半まで行なわれていました。9月3日(土)は,一般のお別れが終了した後、午後7時より、全米各地および各国から急遽集まったエリザベスと親交のあった人々が一同に集まりました。
美しくお化粧したエリザベスを囲んで、さまざまな思い出話や、近況報告の話の輪がエリザベスの周りで楽しく語られ、また、棺の右横のVTRコーナーでは、エリザベスの生涯を編集したビデオが放映され、思い出話をさらに盛り上げてくれました。
私たちが日本から送った、哀悼の「千羽鶴」2000羽が、飾られていました。思いを込めて千羽鶴を折ってくださった75名の皆様に感謝します。また皆様の意思は届けられたことをここに報告します。
1時間ほどで、集会場のエリザベスと少しの別れを告げ、人々はケネス(ケン)の家へ集いました。ケンが準備したスコットディールで一番美味しいイタリアンレストランから沢山の料理と飲み物に舌鼓を打ちながら、楽しい再会の話の輪が、応接間や居間やキッチンやケンのヘッドオフィス周りやプールサイドのそこここに広がり、遅くまで続いていました。



翌日は、ケンの家からはそう遠くない距離にある教会において、葬儀に先立ち、ベルモント州の放送局に勤めるテリーの編集したエリザベスの生涯のフィルムが、素晴らしいBGMとともに放映され、感動と涙を誘いました。
さて葬儀は、約400名ほどが参加されたのではないかと思われますが、牧師や司祭が取り仕切らない、そしてキリスト的なものはすべて白い布で覆い隠した舞台仕立てで、無宗教的な人前葬でした。
しかし、それは、見事に美しく、楽しく、魂の震えを覚えて感動に満ち満ちたものでした。もちろん私にはこのような葬儀は経験なく、これからの人生でもほとんど二度と経験することはないだろうと思われるほど印象的で、生涯忘れることの出来ないいい葬儀でした。
司会のウイットに富んだ開会宣言に先立ち、先ず豊かなボリームの黒人の婦人聖歌隊7名によるアメリカ的なソウルの霊歌がエネルギッシュに踊り歌われましたが、明るく歌っているのに、歌詞は死を語り、涙が溢れてとまりませんでした。この素晴らしいイントロダクションは、多分キリスト教なら賛美歌に当るものなのでしょうが、ホースたたきで鬱屈とした心情を吐き出させるLDTワークショップを考案したエリザベスのことですから、ダイナミックなゴスペル鎮魂歌は見事に、はまっていたなと感動しました。参加者全員が立ち上がり、互いに手をつなぎあって上にあげてスイングして呼応するなどまったく陽気で葬式とは思えない幕開けでした。
次に、お嬢様のバーバラさんによる母を語るスピーチがありました。さまざまなエピソードをウィットに富んだ澄んだ語り口で朗らかに紹介され、参会者からの笑いと涙の渦が起こりました。この笑いと涙の渦は、ケスラーさん、カシアトーレさんと、最後まで留まるところを知らず、あの単刀直入なエリザベスの強い言葉や日常生活、講演旅行における買い物魔ぶりや、豆にいつも沢山の絵葉書を送りつづけていたことなど、医師としての厳しさや、お母さんとしての心温まる寓話が速射砲のようにたたき出され、楽しく笑い転げながらあっという間の2時間半でした。スピーチの間には、死を迎える子供たちに、死とはなにかを教える歌を作ってほしいとのエリザベスの依頼で、ダイアナ エドワーズさんが作詞作曲した歌をギターで弾き語り「teach me what is death~」のフレーズが繰り返されると、会場のそこここからすすり泣く声も聞こえてきました。
葬儀の後、教会の外庭でずっと話の輪がそこここに続いていました。ケンによると、明るく楽しい葬式にするようにというのはエリザベスの遺言であったようです。
私達が日本から送った千羽鶴は、真正面に安置したエリザベスの棺の真後ろ壇上にある説教台に、翼を開いた鶴のように美しく広げて掲げられ、素晴らしく印象的な捧げものとなっていました。皆さんが口々にこの精細な作成物を美しいと言ってくださいました。千羽鶴を折ってくださった75名の皆様に皆様の意思は届けられたことを再度ご報告します。エリザベスのことですから、蝶というよりは、鶴のように美しく素早く大陸を越えて飛翔しているかもしれません。



葬儀終了後は、教会の外庭で、あちらこちらに話の輪が出来、エリザベスの思い出や近況報告や情報交換がされていました。
私も、米国内のシカゴ、ロスなどから来た人々や、オランダを始め、フランス、カナダ、メキシコ、イギリス、イタリア、スイスのエリザベスセンター活動をしている方々と、今後連携の輪を広げ活動を活発にしてゆくことを約束しました。
卜部博士が苦心の末に日本への導入に成功させ、「精神死から心を蘇らせるワークショップ会」として、エリザベスのお墨付きを頂いてから20年間近く、私たちはこのワークショップを続けて参りましたが、エリザベスが反エイズ団体の焼き討ちや様々ないやがらせからグループを守るため米国では中止のやむなきに到った「LDTワークショップ」を実施している国は最早日本の他にはなかったことから大変興味がもたれ、方法など、導入を含めて、人的交流や、シンポジアをやろうという話が持ち上がってきました。
その晩も遅くまでケンの家で歓談が続いていました。
私は、所要がありこれで帰国したため、埋葬には立ち会えませんでしたが、2名の日本人医師が参加していますので、いずれ報告を頂けるものと思います。

エリザベスには月並みすぎて好ましくないのかもしれませんが、ご冥福をお祈りします。(宮崎輝彦)

写真解説
右最上段:葬儀プログラムの表紙
中段上3枚について、左側:生前エリザベスの枕元で相手をしてたET(現在、卜部名誉代表保存)、中央:祭壇上説教台に飾りつけられた千羽鶴、右側:葬儀の夜のすばらしい夕焼け
下段写真3枚について、左側:バーバラさん、ケンさんと筆者
中央:ケンの自宅で千羽鶴を広げて、右側:棺に納められたアリゾナベア(写真は同形のもの) 掲載写真の掲載許可はケンロス氏のご好意による。