元神戸住吉で開業の精神科医、卜部文麿博士が、7月2日午後9時35分(日本時間)、フィリピンの現居住先にて逝去されました。享年80歳。
卜部博士は、シアトルで開催されたエリザベスキュブラロス博士考案のLDTワークショップに参加され、日本人にも適するとの確信を得て、1987年日本LDTワークショップを創設されました。その後ロス博士の認証を得て本格的活動となり、今年で26回を数えるに至っています。
博士は、広島原爆の被爆者であり、微熱と気温アレルギー(室温が29度以下になると喘息を引き起こす)と体調不良で、大量のおくすりを服用しながら原爆後遺症と一生涯戦ってこられました。フリピンへ移住の理由のひとつ)
今回は、肺がんが肝臓と脳に転移し、先月中半から容態が悪化し入院していましたが、今月になり緩和ケアを希望され、ご自宅に戻った矢先のことでした。
葬儀は、13日に現居住地にて執り行われます。
ご本人の遺言で、遺骨はマニラ湾に散骨されます。
奥様も、フィリピンで一生を終えたいとのことでした。
卜部文麿先生について
かつて故武見太郎医師会長時代に、日本医師会理事(精神衛生保険担当)をつとめられ、武見先生が創設した財団法人「生存科学研究所」理事として、平成7年、武見奨励賞を受賞されました。
これに先立つ平成6年に、エリザベスキュブラロス博士の来日に合わせて、日本バイオサナトロジー学会を、当時産業医科大学学長であった故土屋健三郎先生とともに設立されました。
また、10数年前より、当時すでにわが国の看護師不足が深刻になりつつある状況を踏まえ、将来構想として、フィリピン看護師の日本への導入に道を開くべく積極的に尽力され、現在駐日フィリピン大使、ドミンゴ・L・シアゾン氏がフィリピン外務大臣時代にともに日本政府への働きかけをされました。
その後、日本語の出来るフィリピン看護師育成を目的として、フィリピン政府との本腰を入れた交渉のためマニラに移住しました。
残念ながら、東南アジアからの看護師受け入れは、インドネシアが先に実現するようですが、このような活動の草分け的な存在として、晩年の卜部博士の体当たりの活動は日本とフィリピンの交流史に残るものと確信します。
ここに博士の偉業を讃えて、ご冥福をお祈りいたします。